第15回 次代の渋沢栄一を育てよー今こそ「真の開国」が日本人に求められる理由


 このところのロックダウンで筆者もどうしても巣ごもり時間が増えてしまい、外に出られない分、映画やテレビを見る時間が増えてきたように思う。


 そんな中で、いま楽しみにしているのがNHKの大河ドラマ『青天を衝け』だ。マレーシアでもケーブルテレビを通してリアルタイムで放送しているため、知っている人も多いと思うが、“日本資本主義の父”と称され、新紙幣の1万円札の肖像にもなる渋沢栄一を主人公としたドラマだ。


 渋沢栄一の近代日本社会に対する功績は数知れないが、ドラマではその功績そのものよりも、それらを生み出す基礎となった、彼の成功前の人生や考え方の変遷が丁寧に描かれている。そして、その変遷をもらした幕末の情勢と人々との関わりもつまびらかにされている。


 この稿を書いている7月12日の放送は、渋沢が幕府使節団とともにパリ万博に向かうというものだった。パリについた渋沢は、その先端技術と進んだ文化に驚愕する。


 日本でもこのドラマは好評らしく、ビデオリサーチ社によると世帯視聴率は初回20%で、その後は15%前後で安定している。老若男女関わらず楽しまれ、人気が広がっているようだ。


 だが、筆者は楽しむどころか、毎回ドキドキしながら観て、放送後しばし考え込んでしまうことが多かった。それはこのドラマで描かれていることは、ほぼいま世界で日本が直面していることと同じだからだ。


時代の進化を閉ざすものの正体


 明治維新前、攘夷(じょうい)か否かで幕府も地方も大いに揺れた。そのころは、渋沢達のような比較的裕福な百姓も学問を身に着け、武芸を習い、日本の行く末について彼らなりの意見を作ってきた。そしてその一部は過激な攘夷志士となり、テロリストのような行為をしてきた。栄一も例外ではなく、暴力に訴えた過激な攘夷行動を起こす寸前までいっていた。その一方、おなじ百姓出身でありながら、攘夷行動を取り締まるという真逆の立場についた近藤勇、土方歳三などの新選組などもいた。


 一方、幕府も開国派と攘夷派が対立、さらに朝廷との複雑な関係とその背後にいる薩摩の思惑など、一筋縄ではいかない政治的な駆け引きが行われる。それらをエンターテイメントして描いているのは脚本家と俳優陣、演出スタッフの力量の賜物(たまもの)だと思う。


 だが、一歩引いてみていると、このドラマはほぼ現在の日本を寓話的に描いていることがわかってくる。


 このドラマの登場人物たちは、ほぼ例外なく「日本の将来を心配している」人々だ。このままではいけない、このままでは日本はだめになる、という危機感を感じている人々なのである。


 今の日本についても、同じような危機感を持っている人は多いのではないだろうか。若年人口が減り、高齢化が進み、生産性は落ち、世界のテクノロジーの進歩についていけていない今の日本の将来を「明るい」と断言できる人は少ないと著者は見ている。


 ドラマでは、日本を心配しているそういった人々が2つに分かれてしまう。倒幕を目指すものと、幕府を守ろうとするものだ。どちらも日本を行く末を案じているのだが、とる行動は正反対だ。


 筆者は今、日本も同じような状態にあると思っている。中国をはじめとする外国の脅威を恐れ、かつての日本を日本人だけで取り戻そうとする人々と、中国を含めた諸外国との付き合い方いかんで、国際社会の中で日本を復活させたいと思っている人々だ。

 このドラマはその2つのグループの違いについて、ヒントを示しているように思える。


 それは「情報」だ。端的に言えば、世界で何が起こっていて、どんな技術が発展しているか、そういう「情報」に触れた人々は、日本の将来のために日本を開国するべし、その妨げになる幕府はいらない、と考える。


 一方で、その情報を拒絶するものは、旧態依然とした「日本の誇り」にしがみつく。つまり、あの時代には情報の格差があり、情報を得ない者、拒絶するものと、情報を得、積極的に技術を取り込もうとする者たちの二手に分かれた。もちろん、主人公の渋沢栄一は後者として描かれている。


 その中で最後の将軍となった徳川慶喜は、攘夷思想の中心であった水戸出身でありながら、外国の情報に多く触れてきた。だからこそ彼は、幕府を変えることによって幕府を守ろうと画策する。


 結局その努力もかなわず、大政奉還に向かってしまうのだが、当時の日本で、外国の先端情報に触れ、ある程度の知識と能力のある人ならば、みな「日本のために開国すべし」という考え方になっていたように思う。慶喜は、あの才覚だからこそ、江戸城無血開城という形で、ことを収めたのだろう。


ブリッジを使わず、自力で取りに行く


 翻って現代。このインターネット時代、日本人が気づかないうちに、あの頃と同じように情報格差が広がっている。以前のコラム(第12回 広がる情報格差を自覚せよ)でも紹介したが、インターネット全体における日本語の情報量はわずか2%程度に過ぎない、英語の情報量は60%にもなる。そしてこの20年で、英語の情報量は、日本語情報の3倍以上のスピードで増え続けている。


 日本人が日本語で読む情報は、日本人が思っている以上に世界の中の情報のほんのわずかにすぎない。世界の先端情報をつかむには英語で情報をやりとりできないと話にならないのだ。中国人は中国語も使うが、英語も併用、あるいは英語だけでコミュニケートする人々が圧倒的に多い。彼らは世界との接点を各自ですでに築きあげている。

 明治維新前後の日本では、優秀な人材が海外と接点を持ち、その先端技術を日本にも取り込み、日本を発展させるべく動いた。海外と接点を持たない一般の人々は、彼らの権威に従い、いわば盲目的にそれを受け入れたため、その後の日本は発展した。


 だが現在は違う、技術の発展スピードも飛び交う情報の量も桁違いに多い。だが、それらは英語さえできれば、誰にでも手の届くところにある。


 先日、内戦状態で学校に行けなかったアフガニスタン在住の女性が、アメリカのアリゾナ大学の大学院の宇宙物理学専攻に合格したというニュースがあった。戦時下で政治が崩壊し、まともな学校教育を受けられなかった彼女は、米国でYoutubeサイト、カーンアカデミー(https://khanacademy.org/)の提供する無料の学習プログラムを独学で実践して教養を得、各種試験をパスして、博士号を目指せることになった。アメリカへの莫大な留学費用は、クラウドファンディングで集めることができたそうだ。


 つまり、一部のエリートだけが先端情報に触れることのできた昔とは違い、いまは誰でも先端情報を得て、それを基に自分のアイディアを活かすことができる時代になったのだ。


 同じことが日本人にできないはずはない。そのためには英語で読み書きし、コミュニケートできる能力をできるだけ多くの日本人が身に着けるべきだ。世界各国で今、学びを得ている人々、また英語を使って仕事をしている人々は、世界の先端情報に触れるチャンスをたくさん得ている。次代の渋沢栄一はこういうところから輩出されるかもしれない、と筆者は見ている。


渡部幹(わたべ もとき)


モナッシュ大学マレーシア校、スクールオブビジネス 准教授。同校ニューロビジネス研究所所長。UCLA社会学研究科Ph. Dコース修了。社会学博士。北海道大学助手、京都大学助教、早稲田大学准教授を経て、現職。実験ゲームや進化シミュレーションを用いて制度・文化の生成に関する研究を行っている。主な著書に『不機嫌な職場』(共著・講談社新書)、『つながれない社会』(共著・ナカニシヤ出版)