第12回 拡がる情報格差を自覚せよ  あなたは「ゆでがえる」になりたいか?

古今東西、日本を取り巻く閉鎖的ぬるま湯減少。世界の流れや旬のトピックスなどの情報を瞬時にピックアップし、そのメッセージを読み取る情報収集能力の必要性がこれからの日本を担う若者に必要だ。日本は世界の「情報弱者」となるのか。これからの日本を背負い立つ有志はいるかーー社会心理学者の渡部幹氏が警鐘を鳴らす。


 数年前、筆者の大学のイベントで、日本の広島大学のスタッフの方々をマレーシアにお招きして、数日を過ごす機会を得た。その当時の副学長の先生がそのとき興味深いエピソードを教えてくれた。


 その先生は海外の大学で博士号をとって経済学を教えているのだが、あるときとても優秀な学生に出会った。あまりに素晴らしいので、彼に「君は優秀だから、海外の大学院にいって本格的に勉強して博士号をとったらいいと思うよ」と伝えた。


 しかし、その学生の反応はネガティブなものだったという。


 「わざわざ海外に行くメリットってあるんでしょうか。いまはインターネットで世界中の情報が手に入ります、そこで海外に行って勉強しなくちゃならないメリットって何ですか?どんな得があるんでしょうか」。


 事実、海外の大学に留学する日本人の数は年々減っている。先日も日本の学生の留学者数が減っているというニュースが掲載された。この学生に限らず、今は海外留学に積極的な学生は多くない。どうしてそうなってきたのか、不思議に思っていた。


情報量は、英語が日本語の30倍という事実


 最近、仕事で世界のインターネットで使われている使用言語を調べる必要があり、いろいろと資料を見ていたらその謎が解けた気がした。


 Q-Success社(本社:オーストリア、マリア・エンゼルスドルフ市)が提供する調査サービス、W3Techsが行ったサーベイでは、世界のインターネット言語のうち、英語が60.6%を占め、ダントツの1位だ。次点がロシア語で8.4%、日本語は第8位で2.1%だ。中国語は1.4%に過ぎない(2021年2月11日現在)。つまり、ネットでは、日本語の30倍の情報が英語で得られていることになる。


 だが普段日本語のネットしか見ない人は、その実感を持てない。それは、日本語の情報量も日々増えていっているからだ。事実、新しいニュースや世界の出来事はすぐに日本語に翻訳され、アップデートされる。そのため、人々は自分たちは増える情報をカバーしていると錯覚しやすい。いや、実際にカバーはしているのだが、英語圏の人々は、それよりもはるかに多くの情報をアップデートしている。事実、世界のネットにおける日本語の比率は、2019年くらいまで毎年5%前後はあった。だがこの2年ほどで2.1%までに落ちたのである。それは、他の言語が日本語以上のスピードで情報を増やしていったからだ。


 ネット上の言語の比率だけではない。言語を使うユーザーの数でも同様の傾向がある。世界のインターネットに関する情報機関「インターネット・ワールド・スタッツ(Internet world stats: IWS)」によると、2000年以来、この20年間で、ネット上で日本語を使うユーザーは152%になった。つまり、20年で日本語ネット人口が1.5倍になったことを意味する。だが英語のユーザーはこの20年で743%になっている。7.4倍だ。日本のユーザーの約5倍の速度で、英語ユーザーが増えている。


 このことは、重大な事実を示している。日本人は世界の情報量の増加についていけていないのだ。日本語の情報量は増えていっているが、英語の情報量の増え方は爆発的だ。相対的に見れば、ネットで日本語サイトしか見ない人は「世界の中の情報弱者」になっている。


 そして、この現象の最も重要な点は、当の日本人の多くがそのことに気づいていないことにある。


身をもって、世界を経験することの重要性


 冒頭例の学生さんは、海外に行かなくとも日本で情報は十分に手に入ると思っている。だが、日本語で見ている限り、英語圏の学生との情報格差は開くばかりだ。そして英語ユーザーは彼ら同士の交流を通じて、最先端の知識を共有し、さらに新しいアイディアを創出できるチャンスがある。もし学生さんの言うことが正しいならば、彼はアメリカの学生並みに英語情報を得て、英語を駆使してネットワークを広げなくてならない。それができて初めて「海外に行くメリットってあるんですか?」と問えるはずだ。


 だが、そういうことのできている学生は、ほとんどいないだろう。日本人の全大学生の95%以上は、日本語環境中心のはずだ。


 かつて明治維新や戦中戦後の時代、日本人は、自分たちが世界の潮流から遅れていることに気づいていた。そのため、優秀な人々は欧米に行き、最先端の知識と技術を学んだ。それを活かすことで、維新後も戦後も日本経済は飛躍的な発展を遂げた。飛鳥朝時代でさえ、日本人は自分たちが情報弱者であることに気づいていた。だからこそ、遣隋使を派遣し、当時の最先端の知識を得ようとしていた。その根底にあるのは「自分たちは遅れている」という意識だ。


 だが、多くの日本人がいまそのことに気づいていないのは、大きな問題だと思う。

 数年前、東京大学の学生さんたちが筆者の大学を訪ねてきた。彼らは、大学のボランティアサークルに属していて、東大をはじめ、東京近郊の一流大学の学生さんで構成されていた。彼らは、マレーシアの学生たちとともにボランティア活動を一緒に行い、さらにグローバルリーダーになるためのセミナー活動をしたいということだった。


 だが、マレーシアの大学に打診しようとしても、あまりうまくいかず、筆者に声がかかったのだった。


 まずは、なぜ彼らがそういう目的を持ったかを尋ねてみた。だが、残念ながらまともな回答は得られなかった。いろいろ理由は述べてはいたが、結局は「そういうことをやってみたいから」という以上の理由はなかったのである。何よりも、マレーシアのことを彼らは全く知らなかった。


 ボランティア活動は、マレーシアでは日本よりも活発に行われている。多くの宗教があり、信心深い人の多いマレーシアでは、宗教的なボランティアは日常的に行われているし、大学やコミュニティでもボランティアは盛んだ。そもそもイスラム教の断食月であるラマダンは、断食することで貧しい者たちの身になって考えるためのものでもある。


 またグローバルリーダーに関していえば、人口比でみたらマレーシア人の方がずっとグローバルだ。成績がよければ、海外の一流大学にいくことが多いし、筆者の勤める大学を含め、欧米の大学がマレーシアに数多くキャンパスを持っている。そこで優秀な成績を収めれば、グローバル企業でのエグゼクティブへの道が開ける。日本よりもずっとグローバルキャリアは身近だ。


 日本のほうが遅れをとっているのだから、こちらでボランティアやセミナーを開こうとしたところで、マレーシア人の興味を引かないのは当然ではないか。東京大学という日本最高峰大学にいながら、なぜそんなことに気づけないのか、当時不思議で仕方がなかった。


 今ならば、それも上記と同じ理由だとわかる。東大生のレベルでさえ、日本での日本語の情報に頼り、現地が発信する生の情報に触れていないために、マレーシアの状況を理解できないまま現地に来てしまうのだ。


 結局彼らは、こちらの社会的企業の見学に行き、そこで彼ら自身が学んで帰ることになった。彼らから発信できるものは何もなく、逆に得るべき情報の方が山ほどあったのだ。


最先端分野で致命的な情報格差

 上記のような情報格差は、日常生活を送る分にはそれほど関係ないだろう。だが、最先端の情報、例えば量子コンピューターやAIについての専門的な情報に関していえば、相当なダメージがある。英語圏では、プログラマは彼らの専門分野のプラットフォームを通じてコミュニティを作り、日々情報を交換し、知識をアップデートしている。これらの分野は、発展著しいので、学術論文が出る前にすでに皆が知識を共有して次の段階の問題を考えているくらいのスピードで知識が増えている。


 日本人でもそれを追いかけることのできる人はいるが、コミュニティの中で当事者として活発に活動している人の割合は圧倒的に少ない。


 情報格差は最先端の分野では致命的になってしまうのだ。


 さらにもうひとつ、致命的に遅れてしまうのが教育分野だ。いまは最先端の科学知識をわかりやすく解説してくれる英語動画やその理解のための英語コミュニティが山ほどあり、10代の若者たちが、それらのリソースを活用して、研究者顔負けの知識を得ている。そこから次代を担う人々が輩出されていくはずだ。だが、日本語のリソースはそれに比べると桁違いに少ない。教育リソースの情報格差は10年後や20年後の長いスパンで、国力そのものに影響すると筆者は考えている。


 筆者も含め、私たち日本人は、世界のどこにいようと日本語のウェブにアクセスし、日本のニュースを見ることができる。だが英語を通じた世界との接点をおろそかにしていると、気のつかないうちに情報後進者になってしまうだろう。


 私たちマレーシアに住む邦人は、せめて日々地元の英語ニュースや世界のニュースに英語で親しむくらいのことをすべきだろう。今はグーグル翻訳やDeepLなどのネット翻訳もそこそそ使えるようなクオリティになっている。そして、特に子供たちは、情報ソースを英語にシフトしていかなくてはならない時代に来ているのではないかと感じている。


渡部幹(わたべ もとき)

モナッシュ大学マレーシア校、スクールオブビジネス 准教授。同校ニューロビジネス研究所所長。UCLA社会学研究科Ph. Dコース修了。社会学博士。北海道大学助手、京都大学助教、早稲田大学准教授を経て、現職。実験ゲームや進化シミュレーションを用いて制度・文化の生成に関する研究を行っている。主な著書に『不機嫌な職場』(共著・講談社新書)、『つながれない社会』(共著・ナカニシヤ出版)