渡部幹の「ニュースで心理学」第7回 多様性社会でコミュニケーション力を磨く「リフレクション(内省)」のススメ

Updated: Sep 23

 多様化する社会でお互いをわかりあう心を育んでいける環境を作るために、自らを省み、新たなステップにつなげるための「内省力」を鍛えよう。今を生きる人々へ、社会心理学者の渡部幹氏がエールを送る。


 筆者の勤める大学は、オーストラリアのメルボルンに本校があり、マレーシア校は分校の一つだ。そのため、定期的にオーストラリアの教員や学生たちの交流が行われる。数年前に、筆者の学部の大学院生が合宿形式で、自分たちの研究を発表するコロキウムが行われた際、メルボルン本校の教授を招いて参加して貰った。


 コロキウムも終盤になったころ、食事の席で教授が僕に話してくれた言葉を今でも憶えている。


 「マレーシアの学生のプレゼンテーションが上手なのにはびっくりしたわ!オーストラリアの学生より上手いわよ!」


 確かに、僕が日本からこの大学に赴任した時に、こちらの学生のプレゼンテーションの上手さに驚いた記憶がある。僕の勤めていた京大や早稲田の学生が日本語でプレゼンするのと比較してもずっと上手なのだ。


 僕はその理由は、マレーシアでは欧米式の教育法で鍛えられているからだと思っていた

が、同じ欧米式のオーストラリアの学生よりも上手と聞いて、改めて驚いたのだった。


 そしてそれはなぜかを考えているうちに、重要なことが2つあることに気づいた。


 ひとつは「多様性」、もうひとつは「リフレクション」だ。


 残念なことに、そのどれもが日本の教育では不十分なものばかりだ。その結果、日本人は総じてプレゼン下手で、それがグローバル化の足かせのひとつとなっているように思う。以下その理由を述べてみたい。


多様性に鍛えられる説明力


 マレーシアが多様性の国であることは、現地を訪れればすぐにわかるだろう。人種だけでなく着る服にも違いがあるし、話す言葉、英語の訛(なま)りにも差がある。


 マレーシアは、今から500年以上前、マラッカ王国だった頃から、世界で交易を行うハブとして発展してきた。その足跡はマラッカに行けば至るところに見受けられる。その後欧州や日本に支配されるものの、それがさらに多様性に拍車をかけることになって、今がある。


 多様性があるということは、人々が育ってきた文化的背景、宗教的背景、家族の関係、それらの結果形成される価値観や視点に違いがあることを意味する。それは時にコミュニケーションを難しくさせる。


 例えば、我が家の子供たちは「ゲゲゲの鬼太郎」が大好きで、昔のアニメや今のアニメだけではなく、実写版の映画までよく見ている。だが鬼太郎に出てくる「妖怪」という概念は、マレー人や西洋人にはなかなか理解できない。基本的には、日本のアニミズム(精霊信仰:万物に魂が宿るという素朴な信念)から来ているため、ムスリムやキリスト教のような、一神教の人々にはあまり馴染みがない。その一方で、中華系やインド系、つまり仏教やヒンズー教のような多神教に馴染みの深い人々には、わりとすんなり受け入れられる。


 そうすると、子供が妖怪の話を学校でするとき、わかってくれる友達とわかってくれない友達ができる。わかってくれない友達に、妖怪とは何か、を一から説明しなくてはならない状況が生まれやすいのだ。


 一度小学3年の息子に「妖怪って英語でどう言えばいいの?」と尋ねられたことがある。小学生にアニミズム云々といっても理解できないだろうから、「モンスターの一種だけど、フランケンシュタインとかとは違う、もっとスピリチュアルなものだよ」と答えた。息子は「じゃあ、スピリチュアルモンスターって言えばいいかなあ」と話していた。


アマビエ様

 重要なのは、自分でわかっていると思っていることを、全くわからない人に説明するという機会が増えることにあると思う。日本にいれば、妖怪といっただけで、大抵の人はすぐにわかってくれる。だがそれ故に「妖怪とは何か」を深く考える機会を持てない。マレーシアでは、その機会を英語で考える機会を得られる。


 マレーシアの人々は、子供の頃から、そういった練習を何万回もしてきているはずだ。コミュニケーションのために必要な「共通理解」が少ないからこそ、わかりやすく物事を伝えるための技術を磨くチャンスが多くなるのだ。


 このことは同様に多様性の大きいアメリカにも当てはまる。『TED』に出てくるよう

な、優秀なプレゼンターがアメリカに多いのは、やはり上記のような、多様性の中で説明力が鍛えられるからだろう。


リフレクション力を鍛える


 妖怪を知らない人に妖怪の概念を教えるためには「妖怪とは何か」を知っていなくてはならない。


自然には八百万の神様が宿ると言い伝えられる

 Wikipediaで妖怪を調べると「日本で伝承される民間信仰において、人間の理解を超える奇怪で異常な現象や、あるいはそれらを起こす、不可思議な力を持つ非日常的・非科学的な存在」という説明が出てくる。デジタル大辞泉では「人の理解を超えた不思議な現象や不気味な物体」という定義で、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典では「化け物,変化とも呼ばれ,普通には人知の及ばない,畏怖感をそそるような現象,または異様な物体」とされている。簡単に言えば「超常現象そのもの、ないしはそれを司る存在」という意味になる。


 だが、これをこのままムスリムやキリスト教圏の人に説明すると、「それって、奇跡、ってこと?それとも魔法とか魔法使いと同じ?神様や悪魔と同じなの?」と言われてしまう。これら日本語辞書の説明でも、アミニズム的な感覚を理解できない人に、妖怪を説明するのは難しい。だから、それを説明するためには、自分で「妖怪とは何か?一神教の人々の考える魔法使いやモンスターや神や悪魔とどう違うのか?」を考えて頭を使わなくてはならい。


 自分の考えを説明するときもそうなる。例えば日本語でよく使う「しょうがない」という言葉をマレーシアの人々に英語で説明しようとするとき、「自分はいったい何を言いたいのだ」を考えなくてはならない。


 これが「リフレクション(内省)」である。筆者の子供たちは、国際バカロレアプログラムで学んでいるが、国際バカロレア教育は「リフレクションする人であること」を重要視している。国際バカロレアプログラムは、10年近く前に日本の経済界が「グローバル社会で活躍できる人材を育てるプログラム」として高く評価し、この数年文部科学省が日本での普及を強く推進しているプログラムだ。「リフレクションする人」は、そのプログラムが重視している10の資質のうちの1つである。


 日本でリフレクションというと、「反省」の意味合いが強く、こうすればよかった、ああすべきだったという「改善点探し」に重きが置かれるようだが、実はそれよりも重要なのは「自分はいったい何を考えて、何を言いたい(やりたい)のか」をクリアにする作業だ。


 上記の例のように、妖怪の説明ひとつとってみても、マレーシアではリフレクションが必要となる。そして日常生活でリフレクションの習慣がつけば、物事の説明やコミュニケーションのスキルは相当上がるはずだ。


 つまり多様性はリフレクションの必要性を促し、リフレクションはコミュニケーション力を向上させる。マレーシアはナチュラルにそのような環境を提供できている。


 そう考えると、私たちは、グローバル化に則したコミュニケーション力を鍛えられる絶好の環境にいると言っていい。折角海外に住んでいながら、日本人の中だけで交流を留め、現地の人々と社会的な接点を持たないのは勿体ないだろう。最初は、かなり苦労するだろうが、幸いマレーシア人の多くは日本に良い印象を持ってくれている。スーパーに行けば日本食材もあるし、日本食レストランも多い。子供たちは日本の先端的なアニメについて驚くくらいよく知っている。つまり、話題には事欠かないはずだ。


 そして、多様性とリフレクションは、何よりも子供たちの国際コミュニケーション力を鍛えるのに絶好のツールとなる。子供のいる親御さんは、できるだけ現地のさまざまな違った背景を持つ子供たちと、自分の子供たちとの交流機会を作ってあげるべきだろう。


 そして、子供をそのように教育したいならば、まず親がその背中で手本を見せることだ。不格好でへたくそな英語でもいいので、必死に何かを説明することの大切さを、親が行動で示すことが何よりも大事だと筆者は思う。「隗(かい)より始めよ」である。


 何にせよ、それは親自身のコミュニケーション力を鍛えてもくれる。海外にいるこの機会を活かさない手はない。


渡部幹(わたべ もとき)

モナッシュ大学マレーシア校、スクールオブビジネス 准教授。同校ニューロビジネス研究所所長。UCLA社会学研究科Ph. Dコース修了。社会学博士。北海道大学助手、京都大学助教、早稲田大学准教授を経て、現職。実験ゲームや進化シミュレーションを用いて制度・文化の生成に関する研究を行っている。主な著書に『不機嫌な職場』(共著・講談社新書)、『つながれない社会』(共著・ナカニシヤ出版)

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