渡部幹の「ニュースで心理学」第2回 パンデミックにあえぐ欧米諸国 自由主義社会が招いた”感染爆発”の落とし穴

Updated: Apr 9



 マレーシア政府が移動制限令(Movement Control Order:MCO)を施行してから、2週間以上が過ぎた。その間、ヨーロッパでは爆発的に感染が増え、現在では日本の感染者数も急増。マレーシアの感染者数も増え続けているが、まだまだピークには達していないようだ。


 世界的にみて、今回の件ではマレーシア政府の動きは早かった方だと筆者は思っている。政府はいち早くマスクの買占めと値上げと転売を禁止、マスク不足は起こったものの、定期的に供給されており、価格も暴騰していない。スーパーでは一時的に買占めが起こったが、いまはかなり落ち着いている。筆者の子供たちが通う地元のインターナショナルスクールでは、移動制限令前から、登校時の熱測定と今は原則として10㎞以上の遠出と夜8時以降の外出は禁じられており、車も一人で乗らなくてはならない。もちろん不要不急の外出も禁止だ。KLのモントキアラ地区で、日本人4人を含む、外国人11人がジョギングをしていて逮捕されたニュースは、日本でも報道されていた。


 マレーシアは東南アジアではいち早く国境封鎖を行い、クラスター感染が見つかってからはその感染経路の解明に努めている。筆者の住んでいる場所では、日が暮れてからは水を打ったように静かだ。昼間も、スーパーマーケットはある程度混んでいるものの、人々はパニックになったりトラブルを起こしたりせずに、整然と並び、手を消毒して、粛々と買い物をしている。スーパーのあるビルディングはいたるところに消毒液がおかれ、筆者の友人のマレーシア人たちも、お互いに食料や生活必需品の買える場所などを教え合ったりしている。




「社会的距離」を保ち、スーパーへの入店の順番を待つ人々


自由の謳歌が招いたパンデミック


 一方、欧米はかなり危険な状態にあるのは、ご承知の通りだ。感染者数、死亡者数ともにうなぎのぼりで、今後もどうなるかわからない。ここまで悲惨な状況になる前は、イタリアやフランスでは政治家が警告しても、市民は一向に従わず、集会やデモなどを繰り返していたことが指摘されている。また、挨拶の際の握手やハグ、キスといった風習が、感染の拡大を助長したという論も聞かれる。



 見るところ、手の付けられないほどパンデミックが起こってしまったところと、少なくともある程度まで封じ込めができているところでは、ふたつ大きな違いがあるように思える。


 ひとつは、皮肉にも民主主義の根付いた国ほど、感染者や死者数が多くなる傾向にあるという点だ。フランス、イギリス、そしてアメリカなど、民主主義社会をリードしてきた国々がパンデミックにあえいでいる。民主主義は、基本的に「皆が納得しなければ動かない」社会だ。皆が納得するためには、十分な議論が必要だが、新型コロナの感染症に限っては、その時間は取れない。そこで政府は十分な議論を詰められないままに、いろいろな措置を打ち出すが、民主主義に慣れた人々の中には、それに納得できるまで従わないものが一定数いる。そうならば、感染爆発はまず避けられない。


 これに対し、より独裁的な政治体制を引く国や地域の方が(為政者の決定が正しければ、という条件は付くが)、速やかな政策の実施が可能だ。世界初の出来事だったため、初動が遅かったのはあるが、パンデミック後の中国の強引とも思える措置は、結果的に国内の感染収束に貢献したと筆者は思っている。マレーシアは、政治学的には、イスラム教義に基づいた「権威主義」を重んじる国であり、マイルドな独裁的政治体制の国とされている。もちろん選挙もデモもあるが、あくまで他の国や地域との比較においては、まだ上位下達の傾向は強い。


2分された世界の緊急初動体制


 そしてもうひとつの違い、そういった国々の多くは、儒教文化の影響を受けている点だ。中国やシンガポールはもちろん、マラッカ王国時代に、明と国交を結び、中華文化が古くからあるマレーシアも儒教文化の影響下にある。当然、韓国や日本もだ。


 社会学者の橋爪大三郎氏の著書『4行でわかる世界の文明』(角川新書)で、橋爪氏は儒教社会の意思決定の論理として、「上位の者が決定し、下位のものはそれに従う」ことを述べている。上位の決定がダメな場合、下位がクーデターを起こし、上位の者を引きずり下ろすことはあるが、その後上位についたものは、やはりこの論理に従う。つまり、トップが独断的に意思決定し、下位の者はそれに異を唱えずに従うことが、儒教文化圏の特徴といえる。


 たとえ民主主義であっても、儒教文化が色濃い地域は、やはり独裁的な傾向は強くなる。東アジアと中華文化の影響を受けたアジア諸国は、欧米に比較すると、この傾向が強いだろう。そしてそれらの国々の感染者数、死亡者数(中国を除く)は、現時点では欧米諸国よりも少ない。たとえ中国を含めたとしても、最終的には欧米諸国よりもこれらの数は少なくなるだろうと考えている。


 皮肉なことに、新型コロナへの政治的な対策は、民主主義的よりも独裁的な方がうまくいってしまうように思える。そして、政治的決定を遵守する儒教的文化、あるいは権威主義的文化が強いと、封じ込め政策は効果を持ちやすい。社会主義の影響で、まだ権威主義の影響の強い、ロシアや一部の東欧諸国は、西欧に比較すると、まだ踏ん張っていると思われる。


 現代社会の自由主義的価値観を強く有するアメリカやEU諸国がもっともダメージを受けているのだ。


 そしてこのことは、この問題が収束した後に、大きな議論を呼ぶだろう。独裁的政治決定でコロナ封じ込めを行うことは、同時にさまざまな自由の制限、人権の侵害を行うことにもなるからだ。今日本で議論を読んでいる非常事態宣言の是非や、集会やイベントの自粛もすべて、これに関する問題だ。同じような感染症が再び流行った際に、個人の自由と人権を守り、民主主義的価値観を損なわずに、独裁的な意思決定と政治的拘束力を担保できるのかが大きな焦点となるだろう。これは倫理学、哲学、政治学、心理学までも巻き込んだ大きな論争となるだろう。


 なお、以上の考えは、あくまで筆者個人の見解と仮説であって、まだデータに基づいて立証されたものではないことをご了承いただきたい。


家族単位での「民主主義」がカギ


 政治的独裁制が功を奏するという一方、マレーシアを含めて外出制限令が出された国々には、ドメスティック・バイオレンス(DV)が急増するという問題が起こっている。24時間家族と顔を合わせ、仕事も日常生活もほとんど家で行うことで、さまざまなストレスがたまることは容易に想像できる。現在の状況では、その状態を続けなくてはならない。ならば、家族内でできることは、徹底的な話し合いと家族内での「民主主義」だ。皆が(そこそこでも)満足できる妥協点を探すという作業がどうしても必要となる。


 2重の意味で皮肉なのは、政治的独裁制がコロナ封じ込めに功を奏する一方、封じ込められた市民には、家族というミクロな集団において「民主主義」が求められることだ。そして、それは、はるか昔の狩猟採集社会のように、家族を単位とした小さな集団がいかに生き残るかという問題と近いものがある。

 狩猟採集の時代には、家族にとって最も重要なのは「生き残る」ことだった。そのためには、食料の確保、住居の確保、怪我や疫病からの保護が重要となる。そしてこれらを遂行するためには、家族のメンバーそれぞれが協力しなくてはならない。DVが起こってしまうような環境ではそれは難しい。ならばなんとかしてそれを修復しなくてはならない。筆者は経営学の考え方が役に立つと考えている。紹介したい。




「目標」と「手段」を共有する


 経営学とは組織をいかに運営するかについての学問である。いま家族をその組織と考える。ここで使うのはビジョナリー・マネジメントというアプローチだ。このアプローチでは、マネジメントには目標(ビジョン)とその手段(ミッション)が必要と考える。まず重要となるのは、組織(家族)の持つ目標を皆で共有することだ。それが決まれば、そのための手段が決まる。そして、それを実行するために、誰が何をやるかを決め、実行計画をつくり、実践するのだ。


 筆者が勧めるのは、日々、このプロセスを家族で進めることだ。ビジョンは小さなものでいい。例えば子供たちが焼き肉を食べたいと言ったら、家族で「明日の夕飯は美味しい焼き肉にする」というビジョンを掲げる。次にそのために必要なことを「皆で」話し合い、ミッションを明確にする。その後、役割分担と計画を決め、やれることをするのだ。例えば、我が家では、肉を手に入れるためにどうするかを夫婦で話し合い、買う量と部位を決める。オンライン注文で肉を買い、必要な野菜を筆者がスーパーに買いに行き、妻が調理する際には子供たちにもできるだけ手伝わせる。もちろんリクエストした子供たちには、あと片付けなどの家事もエキストラで行わせる。そしてミッションをしっかり遂行して、「家族で美味しい焼き肉を食べる」という目標をクリアする。


 実際、企業が行っているのは、こういったプロセスをもっと大規模にかつ長期間にしたものだ。大事なのは、子供たちが焼き肉を食べたいと言ったときに、筆者ら夫婦も一緒になって「じゃ、全力で美味しい焼き肉(をできるだけコストをかけずに)を作って食べよう!」と積極的に「ビジョンに本気で取り組む(コミット)」し、ミッションについては、なぜ、どんな作業がいつ必要かを「皆で共有」する。子供たちも含めてである。


 ビジョナリー・マネジメントの問題は、ビジョンやミッションが、組織内で共有されないことや、経営陣が創ったビジョンやミッションにワーカーがコミットしない、という問題が主である。したがって、筆者はできるだけ、子供たちの要望や妻の要望をビジョンとするようにしている。そうすれば、彼らは自ずとコミットするし、共有する。そのうえで、家族で「民主主義的に話し合った上」で、ミッションを決め、実行するのだ。


 実践してみると最初は面倒だが、慣れてくるとうまくいくし、楽しい。狩猟採集社会と同じように、生き残るために重要なことをビジョンとして据えることが重要だ。多くは日々の食事や、住居の掃除、家の中でできる運動(家族全員が行う)、そして子供たちの勉強目標だ。子供たちの勉強目標は子供たちだけにさせるのではなく、親の目標も組み込む。例えば、筆者の場合は原稿の締め切りだったり、論文執筆を組み込んだり、娘と一緒にオンラインでコンピュータプログラミングの勉強を行ったりしている。


家族総出の協同作業が相乗効果に

 このビジョナリー・マネジメントを行うことのメリットは、必然的に家族間のミュニケーションが増えることと、意思決定までのプロセスがはっきりする点だ。家族の誰がどんな考えを持っているかを皆が理解できる。そのことは、余計な言い合いや喧嘩を避けるのにとても役に立つ。家族のメンバーそれぞれとコミュニケーションをするには、何に気を付ければいいか、どうするのが効果的かがわかってくるし、どんな反応が返ってくるかの予想もつきやすくなるからだ。


 私たちは、家族内でのコミュニケーションについては、あまり考えない傾向にある。家族なんだから、本音を気軽にぶつけることが本当のコミュニケーションと思っている人も多いと思う。だが、一時的でも、経営の視点で家族と接することは、とても有効だと筆者は考える。そのことは、この非常時下で、いかに人生を充実した楽しいものにできるかに直結するからだ。


渡部幹(わたべ もとき)

モナッシュ大学マレーシア校、スクールオブビジネス 准教授。同校ニューロビジネス研究所所長。UCLA社会学研究科Ph. Dコース修了。社会学博士。北海道大学助手、京都大学助教、早稲田大学准教授を経て、現職。実験ゲームや進化シミュレーションを用いて制度・文化の生成に関する研究を行っている。主な著書に『不機嫌な職場』(共著・講談社新書)、『つながれない社会』(共著・ナカニシヤ出版)

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