マレーシアの高等教育に対する世界的評価が著しく高まっている。マレーシアの最高学府と言われるマラヤ大学は、大学や研究機関の評価を行う英クアクアレリ・シモンズ
(QS)社によるアジア大学ランキング2020で、東京大学と同順位の13位と評価された。
また2020年7月現在の最新データによると、マレーシアの国立大学20校中5校が200位以
内にランクイン(日本では国立大学82校中8校。公立大学91校を加えても200位内の大学
数への変化はなし)。国立大学のみならず、私立大学81校(総合大学およびカレッジ:単
科大学を含む)、海外大学のマレーシアキャンパス10校もそろって評判が高く、海外から
の留学生数は136カ国から13万人(短期留学、初等・中等機関を合わせると17万人)を数
える(2019年末時点)。

2014年、マレーシア政府は国際的教育立国を目指すと宣言。アカデミックレベルに関し
ては、わずか5年でその目標を達成した。
この躍進を支えるものは何か。この国の教育に対する考え方や取り組み、初等・中等教
育制度など、またそれを取り巻くガバナンスについて紹介したい。
国策としての教育改革
マレーシアでは、1996年に制定された「教育法1996」により、抜本的な教育改革がスタ
ート。私立大学の登録並びに承認システムが刷新され、マルチメディア大学(サイバージ
ャヤ地区、1997年開設)を筆頭に私立大学47校、私立カレッジ34校が次々と誕生した。海
外大学の誘致も進んだ。1998年の豪モナッシュ大学を皮切りに、現在、海外の教育機関10
校が当地進出を果たしている。
2007年にはマレーシア資格機構(MQA:教育機関における学術プログラムの認定・管
理監督を行う機関)を設立。各機関の教育水準・環境を高レベルに維持、単なる金儲けを
目的とした教育機関の乱立を防ぐシステムを確立した。また2014年、政府は
“Edutourism(教育観光)”に本腰を入れると表明し、QSによる格付け制度にも参加。海外
校を除く全高等教育機関101校のうち21校が3つ星以上を獲得している。
政府は、教育を”国力を高める手段”と捉え、教育を充実させ、経済成長に繋げたいとし
ている。経済成長に貢献する最大のサービス産業は教育産業であるという英・豪の経済統
計データを受けてのものだ。教育サービスを通じたGDPの増加を目標に掲げ、現在、教育
に費やす国家予算は全体の20%以上。当地を最高の教育提供国として成長させるべく、2025年までに高等教育を受ける者を40%以上に増やし、公立大学の教員の60%以上に博
士号を取得させたい考えだ。
また世界的高順位の大学での勉強を望む学生にとって、教育費用の観点からみても魅力的だ。例えば経営学を学びたい学生は、当地のノッティンガム大学を選ぶことで、メインキャンパス(イギリス)で学ぶよりもその費用を3分の1に抑えることができる。全学部が世界ランキング上位に位置するモナッシュ大学で学びたい学生にとっても同様だ。
このように国を挙げた熱心な教育改革が功を奏し、学士、修士、博士号を取得する地と
して、マレーシアに対する世界的な評価が飛躍的に高まった。
一方で、高等教育のレベルアップは、高等教育のみをテコ入れすることで成し得るもの
ではない。初等・中等教育のシステムの充実度や教育事情も大きく影響している。
それではマレーシアにおける義務教育の環境や制度はどのようなものか、見てみよう。
進路をカスタマイズできる、豊富な学校オプション
初等・中等教育機関は、大きく分けて4種類、公立学校、私立学校、各国が駐在員のた
めに設置するインターナショナルスクール(日本人学校など)、ホームスクールなどがあ
る。初等教育を実施する公立校は2種類あり、マレー語で各教科を指導する国民学校と、
中国語またはタミル語で指導する国民系学校に分けられる(国民学校では英語、国民系学
校ではマレー語と英語が必須教科に含まれる)。
私立学校は、中華系中等学校、宗教学校、インターナショナルスクール(各国のインタ
ーナショナルスクールとは異なる)などバラエティーに富む。
中でも、昨今内外から注目を集めているのはインターナショナルスクールで、英国式、
米国式、カナダ式、オーストラリア式、国際バカロレア(IB)など様々なカリキュラムを
提供する学校など多数存在する。これらの学校は、初等・中等一貫教育を採用するところ
が多い(2学期制または3学期制を採用)。
特筆すべきは、ホームスクールだ。フリースクールというイメージもあるが、マレーシ
アの場合、米国式、モンテッソーリ、ケンブリッジ方式を採用するなど充実しており、カ
リキュラムをみても私立系インターナショナルスクールと遜色ない。これは教育省の定め
る「学校は校舎を持たなければならない」というルールによるところが大きく、予算の都
合上、既存の建物の一部を借り受けて開講する場合に、ホームスクールとならざるを得な
いのが背景にある。学費はインターナショナルスクールよりも低いにも関わらず、目を見
張る教育プログラムを享受できる上、カリキュラムを終えることで卒業資格を得られるホ
ームスクールも存在する。
教育制度は6・3・2制
義務教育は初等教育の6年間。公立校およびマレーシアの教育カレンダーに即したプロ
グラムを実施する私立校の学校年度は1~12月で、新年度は1月2日からスタートする。
よって、1月1日時点で満6歳の子どもに対し、保護者は初等教育を受けさせる必要があ
り、ほとんどの子どもは7歳を迎える年に入学することとなる。一方、私立系インターナ
ショナルスクールは8月または9月に年度が開始する場合が多く、入学年齢は柔軟だ。入
学時のレベル診断テストにパスさえすれば入学可能(4歳で1年生という例もまれに見受
けられる)で、多くは5~6歳時点で入学する。
公立校の生徒は初等教育最終年度(6年生の終わり)に、全国一斉初等教育修了到達度
テスト(UPSR)を受験することが義務付けられている。通常、このテストで基準に到達
しない場合は中等課程には進めず、特別クラスでの補講期間を経なければならない。
中等教育は前期3年、後期2年に分かれ、前期3年目に到達度テストが実施される。従
来は全国一斉共通試験形式で行われていたが、2014年からは各校ベースのアセスメント方
式に変更された。
なお、各国が設置する教育機関やケンブリッジ、国際バカロレアシステムなどを採用す
るインターナショナルスクールでは、それぞれの機関が導入する試験をもって到達度テス
トと見なされる。
公立校、私立、インターナショナルスクールに関わらず、当地の生徒にとって重要な分
岐点となるのは、中等後期2年目。中等課程入学年をフォーム1とし、中等後期2年目は
フォーム5、インターナショナルスクールではイヤー11、IBではMYP5と呼ばれる。
公立中等学校の生徒はマレーシア教育修了証明試験(SPM)と呼ばれる全国一斉テスト
を、インターナショナルスクールに通う生徒たちはケンブリッジ式の最終統一テストであ
るIGCSEやIB中等課程修了課題などをクリアしなければならない。SPMやIGCSEの結果は
、その後の進学先、奨学金に影響する。
なお、カナダ式、米国式のインターナショナルスクールや各国設置の教育機関は上記の
限りではない(日本と同様、6・3・3制を採用するところもある)。
ポスト高等教育課程
6・3・2を終えた段階で進学できる高等教育機関は、学士号を授与しないカレッジ(
ディプロマ:卒業証書授与)、またはポリテクニックと呼ばれる総合技術専門学校だ。例
えば、建築士や会計士など、将来従事したい職業に就くための専門知識や技術を学びたい
学生にとって、より素早く資格証や修了証を得られる教育機関である。
また総合大学(UNIVERSITY)に進学したい場合は、大学準備期間(最長2年)と呼ば
れるポスト高等教育課程を経なければならない。マレーシアでは6・3・2制を採用して
いるため、学士号取得期間が3年(医学部や理工学部の学位取得期間は4年以上)。一方
日本は6・3・3制を採用、大学での学士号取得期間が4年。そうみてみると、初等教育
をスタートして学士取得までの期間は、日本とマレーシアにさほど違いはない。
中等教育後期課程終了後の大学進学希望者には、複数のルートが用意されている。これ
らはいずれも大学準備課程と呼ばれるもので、進学可能な大学レベルを判定するため、ま
た、より高度な知識を習得し、大学カリキュラムを円滑にこなすスキルを身に着けること
を目的としている。以下、主な選択肢を紹介する。
フォーム6と呼ばれる18カ月の公立学校の教育課程を経て、高等教育修了証明試験(STPM)を受験する。この結果に基づき、進学可能な大学が決まる。
カレッジなどが提供するプレ・ユニバーシティー・プログラムでAレベルコースを15~24カ月受講し、Aレベル試験を受験する。Aレベルは”ゴールドスタンダード(世界共通指標)”とも呼ばれ、イギリス、オーストラリア、シンガポール、米国、カナダなどのトップ大学入学のための足掛かりとなる。
各大学が設置するファウンデーション(準備コース)に入学し、1年間学ぶ。成績が基準を満たせば、修了証(ディプロマ)が授与され、当該大学への入学が可能となる。
IBディプロマコースのカリキュラムを2年間履修し、最終試験を経て所定の成績を達成すると、国際バカロレア資格(国際的に認められる大学入学資格)を得られる。海外の大学では、当資格を持つ学生は必須科目が免除されるなどの優遇措置もあり、授業料の軽減にもつながる。
国際競争力を高める選択肢の多さ
マレーシア政府は国家レベルでの国際競争力を高めるに、高等教育のみならず、初等・
中等教育の改革が必要と判断。2012年、私立系インターナショナルスクールにマレーシア
人生徒が40%以上在籍しなければならないとするルールを撤廃し、学校設立のための資本
を100%外国から調達することを認めると発表した。これにより、2012年に66校だったイ
ンターナショナルスクールは150校を超え(2019年時点)、総生徒数7万人のうち、外国
からの留学生は3万人を数える。

公立学校での外国語教育にも目を見張るものがある。初等課程ではマレー語と英語を必須とし、そのほかに第3言語として、中国語、タミル語、アラビア語、カダザン語も選択可能。中等課程ではマレー語と英語が必須、また初等課程同様に、中国語、タミル語、プンジャビ語、カダザン語、アラビア語が選択科目として設置されている。さらに日本語、フランス語、ドイツ語、韓国語の学習が可能 日本語を学ぶ中等課程の子供たち
な学校もあり、国際協力基金(The Japan
Foundation)からボランティア日本語講師を受け入れ、日本語と日本文化の普及に力を入
れる学校もある。

日本文化を学ぶ中等学生とボランティア日本語講師の阿部宜行さん(写真・上段左端)
教育に関する選択肢の豊富さは、数多くの留学生を惹きつける。同国経済は着実に活性
化していくだろう。学校機関の選択肢と目標達成のためのルートの豊富さは、個人の成長
を促し、結果として社会が成長することに役立っている。

ここで、国際バカロレア(IB)校の中等教育課程を終えたスレンドレン君の例を紹介したい(右写真)。エンブリー・リドル航空大学(米国フロリダ州、世界最高峰の航空宇宙学大学)で学ぶ夢を持ち、学業に邁進していた彼だが、家計の状況により将来設計の変更を余儀なくされることになった。だが、国際バカロレア中等課程で最優秀成績を収めていたため、テイラーズ・カレッジから授業料100%免除のオファーを受けることになり、まずはそこで学び、最高ランクの成績を得て転学することを決めた。スレンドレン君の目標は、より効果的な形で叶えられそうだ。世界最高峰の宇宙工学を学び、その技術を母国へ伝える。マ
レーシアの科学産業は間もなく、このように海外で研鑽を積む学生らによって大いなる飛
躍を遂げるだろう。
冒頭で述べたように、マレーシアの教育ガバナンスは今、世界の人々を惹きつける教
育環境を確実に醸成していると言える。その理由は字義通り、まさにガバナンスの実践に
よるものだ。ガバナンスとは、制度そのものの決定、変更、創出の意味も含まれる。日本
では、管理・統括する制度や仕組みという意味合いで用いられているようで、本来あるべ
き”オプションを増やす”という概念が欠落しているように感じられる。
教育のソフト面
近年、当地の公立学校の授業風景も変化しつつある。トレンガヌ州中等教育課程教師、
モハド・アドラーンさん(下写真)によると、公立校の全教員は、アカデミック上の最新知識と児童心理に関する最新情報の習得が求められ、毎年、新たな教育スキルを身に着けるための研修を修了しなければならないという。その結果、教員による一方通行的な授業や暗記を要するカリキュラムではなく、グループワーク、研究発表を多用した授業スタイルに移行されつつある。例えば、算数・数学の試験だが、文章題が中心で、電卓の持ち込みが可能だ。計算問題に割く時間は減少したという。

また、当地の児童や生徒は「この学校は自分に合わない」、「より良い学校を見つけた」などの理由により、気軽に転校する。それは公立学校も同じで、近年は校区に縛られずに学校を選べる。「イジメに遭ったので別の学校へ行く」、「良い成績を得たので上のランクの公立校に転校する」など、より良い環境を求めて学校を変えていく。公立校に子女を通わせる父兄は、「校区という概念が形骸化しており、自分の子どもに合った環境を選べることや、何かあったらすぐに学校を変えられるため、とても気が楽です」と語る。教育は自分を輝かせるためのステップと捉えるガバナンスが、人々に浸透している結果の顕れだ。
また、新型コロナウイルスの影響により小クラス化が加速、アシスタント教員が急遽増員された。少人数制クラスにより、教育の質はさらにアップするだろうとの期待の声も多い。
国や社会を活性化させるのは教育であり、経済を持続させるのも教育である。教育を通
して国は国際競争力を高め、知識経済を創出し、持続可能な環境発展を維持させる。マレ
ーシアはその事実に気付き、既に幾つもの布石を打ち、盤石な体制を整えて教育立国を目
指している。
新型コロナウイルスが落ち着いたら、一度マレーシアを訪れ、学校訪問をされてはいか
がだろう。この国の子どもたちのプレゼン力を始めとする能力の高さに驚かれることだろ
う。マレーシアの将来が楽しみでならない。(取材・写真/渡部明子)