「即戦力」を生む教育とは 国と社会の発展、子どもたちの心の健全性をもたらすマレーシア流教育

解は一つではない教育の徹底を初等レベルからーー多様化社会の到来に向けた一歩進んだ教育をーー。優れた能力を発掘するために国全体で教育現場の底上げを。


渡部明子(ライター、翻訳、医療通訳者)

 日本人にとっての人生を左右する重大な局面とは、高校3年時に迎える大学受験時期に限るといっても過言ではない。これまで、“学歴フィルター(大学名で採用が決まること)”や、“知名度の高い企業と有名大学との相思相愛関係”といった言葉が横行闊歩してきた日本。企業は優秀な人材を選ぶ労力を惜しみ、リスク回避を求めた結果、「成績優秀な学生が入学できる有名大学の出身者」を優先的に採用するようになった。当の学生側はより良い企業に就職しようと名のある大学への進学に努めるようになった。「人気企業に採用される大学上位校」と喧伝される大学に入学できれば親も子も安心、バイトやサークル活動に精を出すのが大学ライフだという長年にわたる日本の慣習が背景にある。


新型コロナで一変、即戦力重視へ

 2019年4月、日本経済団体連合(経団連)と大学は、新卒一括採用システムの廃止に合意、2021年春以降の就職活動から通年採用方式に移行すると発表した。就業経験者と同じスタートラインに立つことになった学生らは口々に不安を訴えるようになり、一方の企業側はコストの変化や新対応に対する拒否反応を示すなど、就職を取り巻く環境はこの大きな変化に翻弄された。そしてこの混乱の最中に、新型コロナウイルスが出現したのである。


 企業は必要かつ優秀な人材の確保が急務となり、2021年を待たず、新卒や経験者を横一線に評価・審判せざるを得ない事態に突入した。育成よりも即戦力となる人材を選ぶ方向へ舵を取り始めざるを得なくなったのである。学生にとってみれば「名のある大学に入れば人生楽勝」という時代が終焉したことを意味することになろう。


急がれる「解が一つではない社会」の創生


 かねてより企業群は教育機関に対し即戦力となる人材の育成を求め、当の高等教育機関側は自らを“職業訓練機関ではない”と反目してきた。


 AIやエンジニアリング関連などの日進月歩な知識と技術は、あっという間に無用の長物になる可能性がある。簿記を学んだとしても、複雑な法人形態のもとで独自の会計システムを有している企業ではその知識を生かすことはできないかもしれない。同分野の就業経験者でさえ、企業が変わればルールやシステムが異なるため、前職経験を全て生かせるわけではないのが実情だ。


 だが実は日本の経済界、情報通信・金融・工学的な知識や経験を”即戦力”と呼んでいるわけではない。


 某大手銀行は調査月報の中で「(企業が人材を速成栽培した結果)個々の知識や情報を結びつけて総合的に発想・表現できる人材が枯渇し、“ゴールから逆算して近道を探り当てる要領”を問題解決能力と混同する事態が生じた」と報告。ひいては「この国や産業界の将来に危惧を抱いている」と記している。一方、経団連は「幅広い教養、課題発見・解決力、外国語によるコミュニケーション能力、自らの考えや意見を論理的に発信する力」を求めるとし、それらの力を「初等中等教育段階で身につけた上で、大学・大学院で専門分野の知識を修得し、留学などの様々な体験活動を通じて、文化や社会の多様性を理解することが重要。地球的規模の課題を分野横断型の発想で解決でき、理工系専攻であっても人文社会科学を含む幅広い分野の科目を学ぶことや、人文社会科学系専攻であっても、先端技術に深い関心を持ち、理数系の基礎的知識を身につけることも必要である」と、同ホームページPolicy(提言・報告書)の中で述べている。


 つまり、物事を俯瞰的・大局的に見つつ本質を見抜き、付け焼き刃ではない真の問題解決を導く能力こそが即戦力であり、これを小学課程からトレーニングすべきと、経済界は以前から提言していたのだ。


 同様に、教育方法やシステム改革が必要であることに教育現場も気付き始めている。


 早稲田大学政経学部は、受験産業や受験生から猛烈な批判にさらされながらも、2021年2月に実施される入試から、数学を必須科目に加えることを2018年に発表した。教育の在り方を見つめ直し、今後の社会の発展を見据えるうえで早稲田が独自に選んだ改革の第一歩である。


優れた教育を選択できない原因は日本の受験制度にあり


 先日、日本の公立高校教師とマレーシアと日本の教育スタイルについて話す機会を得た。高校3年時の大学受験をいかに乗り切るか、そこに学生や保護者の意識が集中している日本では、教師がいかに個性を引き出す授業を試み、それが仮に好評を得たとしても、保護者からは受験に役に立たない話で時間を無駄にしないでくださいと、クレームが殺到するという。「現在、日本でもIB教育が注目を集め始めていますが、ネックは受験制度です。飛躍的な拡大を目指すためには、抜本的な受験改革が必要でしょう」とその教師は現状を語る。


 前述の経団連が求める即戦力の定義は、まさにIB(国際バカロレア)教育の理念と等しい。IBディプロマ(国際バカロレア資格)の取得は困難を極めるが、世界共通の大学入学資格として高い評価を受けている。だが、日本でIBディプロマを評価基準として入試枠を設けているのは国公立・私立合わせて全61校(2019年12月時点)にすぎない。AO方式の受け入れ基準の一つとしている大学も多く、入学可能人数は各校とも若干名と限られる上、ディプロマ取得の有無や取得時の得点を入学判断基準とする他国同様の方式で合否判定する大学は、玉川大学など一握りだ。


 教育の選択肢を増やしたところで、学生や保護者が“大学進学=就職”に有利なようにと、損得の視点から従来型教育を選択するのでは意味がない。「何がより優れた教育か、子女に合う教育は何か」という視点に基づく選択を可能とするには、日本も遅かれ早かれ、国を挙げての受験制度改革に着手せざるを得ないだろう。


多様性社会の創生に必要な主体性とリフレクション


 その点、マレーシアは高等教育課程学位(日本で言えば学士号、修士号、博士号)への尊重度が高い。高等教育課程で提供される教育の質が高く、学生は必死になって勉強しないと追いつかない。卒業後即戦力として、国や社会の発展に寄与するべく、生涯スキルを身に着けようと学ぶためだ。


 高等教育課程に進学するためのルートは複数用意され、それぞれの進路に応じた試験システムが確立されている。よって学生は豊富な選択肢の中から本人の能力や家庭環境に応じた進路を選ぶことが可能だ*。また就職時の年齢制限はなく、充実した奨学金制度も後ろ盾となっている。一旦就職してお金をためてから大学または大学院へ進学し、修業後、再就職後し、より良いポジションに付くという合理的なライフプランを立てる学生も多い。進学も就職も、その門戸は常に開かれ、自由度が高く、「この時期を逃したら後がない」という焦りはマレーシア社会からは感じられない。


 またマレーシアでは、公立、私立、欧米方式やIB方式などの教育システムに関わらず、現場のスタイルは「研究発表方式」に移行されている。社会や世界を取り巻く問題を解決するための「方法」を提示するのが教育であり、論理的思考能力と実行力を身に着ける場が学校であると理解されているためだ。

 地球規模の問題も課題として頻繁に提示される。生徒らは根本的な問題の所在を探し出し、個人またはグループで解決策を発表する。それに対する他者の意見を聞き、自分の理解をさらに深めていく。算数の授業でいえば、文章問題を中心に実社会での利用方法を学ぶことを目的とし、計算機を導入することで計算そのものに割く時間は激減している。国語力も重視し、リーディングと概要のとりまとめ、それに対する自分の意見や感想の発表に多くの時間を費やす。学習目標を「導いた解と解決策を自分の意見として述べること=主体性を持つこと」と、他者の意見に耳を傾けることで「さらに自分の考えを深めること(自分を理解すること)=リフレクション」と設定しているためだ。

初等教育から論理的思考能力と実行力を養う

 問題の掘り起こし、解決策の検討、プレゼン、他者意見の傾聴、自分の考えを深め理解するーー初等教育段階からこの一連の課程を繰り返すことで主体性とリフレクションが身につき、生涯有効な即応力や柔軟性が得られると考えられている。自分の意見を他者に理解してもらうための工夫も必要になるため、プレゼン力も格段に高まる。


 翻って日本での学習目標は、テストでの回答、つまり「1つの解を導くこと」にとどまる。だが現実の社会では、解を選んだあとの対応が肝心だ。1つの解を求めることを最終目標に成長し、社会に船出した子供たちが逆に「即戦力がない」と頭を抱えられる結果となっているのである。


 全員が同じ解にたどり着くことをゴールとするため、他人との違いや意見の相違を受け容れることのできない環境が造成され、多様化を阻む社会が脈々と築き上げられているかのように見受けられる。


 日本の各大学は個性や多様性を認める政策として入試制度の見直しを始めているが、前述のとおり、それによって入学できる人数は圧倒的に少なく、優れた能力をマイノリティー的個性として埋没させてしまいがちだ。


 公平性という点で日本の受験制度は群を抜いた制度である。しかし今のままでは、俯瞰的・大局的な観点の持ち方や、問題の所在発掘と解決のノウハウを知らないまま社会に放出され、荒波に疲弊させられる若者が大量生産される一方になる。


 初等・中等教育の段階から「解は1つではないこと」を周知させ、その学習目標を”主体性”と”リフレクション”に設定する教育プログラムや試験制度に切り替える必要があるのではないか。

大学も授業スタイルや変化を 名ばかりの奨学金制度


 高等教育も同様に、少人数制、学期ごとの取得単位数を減らすなどの方策をとることで、学生に主体性とリフレクションを徹底し、方法論を学べる授業スタイルへ変更すべきだろう。学生が一学期中に取得する単位数が減ることでクラスあたりの人数が減り、教授陣は1つの授業に労力と時間をかけ、よりきめ細やかな授業を提供することができる。学生側は、徹夜で勉強すれば単位を取得できるほど甘い学生生活ではなくなるが、(授業数が減るためバイトも継続しながら)学問と向き合い、生涯スキルの総仕上げが可能となる。

 奨学金制度についても再考すべきだ。少なくとも実質的な学生ローンである奨学金の呼称を変更すべきで、卒業直後から返済負担が重くのしかかるシステムはローンであり、奨学金ではない。元来、奨学金の目的は2種類あり、1つは生活費支援であり、残る1つは優秀な人材を育てることを目的とする。日本では生活費支援目的の奨学金が多い一方、優秀な人材を育てるための奨学金が著しく不足する。


 他方、マレーシアをはじめとする海外では、優秀な人材向け奨学金制度が充実しており、各大学は学生に対し、入学前に奨学金支給を提示する(中等課程での成績や得点を参考に決定される)。学生らは、自分の実力を評価してくれる大学を選び、効率的かつ合理的に学ぶことができるというシステムだ。


 とりわけ今、新型コロナウイルスが流行し経済上の理由から大学進学に二の足を踏む学生が多い中、各大学は今こそ優秀な学生を呼び込もうと、中等教育課程で一定の成績を収めた者には奨学金を支給するとSNSや新聞広告を駆使してアピールしている。

フェアのブースに集まる人々

 また、マレーシアでは社会人経験者が大学院へ進学するケースが著しく多い。修士号や博士号取得者が社会に大きく歓迎され、企業内での昇進も早いためだ。しかしそれを可能とするのは、やはり充実した奨学金制度の存在が欠かせない。


 2020年8月現在、社会人も多く学ぶモナッシュ大学ビジネス学部大学院では、実に95%の学生が奨学金を受給している。その内訳は、フルスカラシップ(授業料免除+月々の生活補助的資金)受給者が50%を占め、授業料免除は20%、外部研究助成金受給者は10%、政府系奨学金受給者は5%、残りは民間その他奨学金受給者だ。海外調査や研究発表のための旅費などは別途大学に申請可能だという。なお、学内の奨学金支給は成績をもとに決定され、国籍や宗教などによる優遇措置はないそうだ(奨学金担当者談)。


 家庭を持つ学生も多く就学しており、これは躊躇なく学問の世界に邁進できる環境が整っているからこそと言える。多額のコストをかけて修士号や博士号を取得しても、扱いにくい、見合うポストはない、年齢が高いと敬遠される日本の社会環境とは大きく異なる。


進学と就業が中長期的視野でカスタマイズ可能なマレーシアの社会環境


 ところで、日本の厚生労働省は年齢を理由とした採用制限を禁止しているにも関わらず、実際には「キャリア育成のため」として若手を優先し、ブランク(不就労期間)を好まない傾向にある。


 マレーシアのみならず諸外国では、優秀な人材が数年、時には長年ブランクを経ることを当たり前とする。自身の就学のため、子の養育のため、親の介護のため、海外放浪のためなど理由は様々だ。ブランクの有無にかかわらず、就業のチャンスはいくらでもある。マレーシアの場合”就職フェア”の存在が一際大きい。

 クアラルンプールでは通常年2回、巨大な就職フェアが開催される。日本の就職フェアとはあらゆる点で大きく異なり、就職のみを目的とするものではない。「キャリアパスフェア」とでも呼ぶべきもので、国内の大学や大学院、海外の大学も出展者として名を連ねる。新たに職を探すか学位取得を目指すか、働きながら勉強するか、さらなる経験を積むために海外の大学にチャレンジするか、フェア会場には多くの選択肢がズラリと並ぶ。

 フェアを訪れるのは学生、既に仕事に従事している人、出産のため一時職を離れていた人など様々で、ベビーカーに子どもを乗せて家族と連れ立って訪れる姿も多く、スーツ姿で会場を訪れる人は皆無だ。会場内には子どもたちの遊び場やゲームスペースも用意されている。子どもが小さいまたは就学中、年齢が高い、経験が浅いなどを理由に就業や進学のチャンスが阻まれないことを、また自身のキャリアパスは状況や能力に応じて中長期的視野でカスタマイズできるという、社会の懐の大きさをフェアが示している。


よりよい生活を送るために、あらゆる選択肢のある社会の形成を


 制度や環境に関わらず能力を開花させることのできる人材は、どの国でも常に一定割合存在する。しかし、確かな価値観を有し、リーダースキルを身に着けた人材がさらに多く輩出されれば、「即戦力不足」は解消され、企業、自治体、コミュニティの各分野はより発展し、住みやすい社会が形成されるはずだ。そのためには、初等・中等・高等教育課程の学習目標設定の変更と、それに応じた試験制度の導入が欠かせないと考える。

調査したことに対する感想を道行く人に聞く生徒

 この9月、ユニセフが先進国(39カ国)の子どもたちを対象とした調査レポートの中で、日本の子どもたちの精神的幸福度がワースト2位であると発表し、日本国内は大いに揺れた。教育の目標を「主体性を持たせること、リフレクションさせること」に設定することで、この件を含む多くの社会問題が払拭されるのではないだろうか。 


 マレーシアは以前、道路ではウインカーを出す車はなくクラクションはうるさく、歩道にはオートバイが走り、食料品店に並ぶ品のクオリティは低く、購入したものが数時間で壊れることも日常茶飯事だった。


 ところが今はクラクションの音や街の喧騒は減り、歩道は整備が進んだ。食品や物の質も上がり、社会環境は目を見張るほど改善している。充実した教育を受けた世代が成長し、社会の構成員として社会を変え始めたのだ。


 教育が変われば社会は必ず変化する。子どもたちの心の健全性と暮らしやすさを求めるなら、一刻も早く教育改革に着手すべきではないだろうか。


*詳しくは、当ウェブサイト「マレーシアの教育制度とガバナンス~国際的教育立国として躍進するマレーシアの教育事情~」を参考。


<著者プロフィール>渡部明子(ライター、翻訳、医療通訳者。金融機関秘書および人事部、大学研究部門事務、米国小学校インターン教師を経験。立命館大学法学部卒。3人の子どもを日本、アメリカ、マレーシアで育てる)





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